第112回卒業証書授与式を行いました

コロナ禍での卒業式を挙行いたしました。

記念体育館で一堂に会して行いました。ただし、在校生、保護者の方々、来賓の参列はかないませんでした。

例年と異なる式典でしたが、3年間の総まとめとして意義深いものになりました。

皆様、ありがとうございました。

 

校長式辞は次のとおりです。

 春の光あふれるこの佳き日に名古屋経済大学市邨高等学校第112回卒業証書授与式を挙行できますことを何よりもうれしく思います。コロナ禍にあっても校庭の梅の花は馥郁たる香りを放っています。今日の日を皆様と共に喜びたいと思います。
 卒業生の皆さん、卒業おめでとうございます。
 思えば昨年は突然の臨時休校措置により、例年通りの卒業式の式典は行えず、全員が一同に会することなく、教室にて放送によって執り行いました。今年もコロナウイルスの猛威は収まらず、保護者の方々や在校生の列席は叶わず、来賓の方々もお招きすることは出来ませんでした。残念に思いますと共に、申し訳なく思います。
 世間ではおそらく今年も卒業式が異例の形で行われることに対し、可哀想、あるいは気の毒、というような慰めの言葉で表現するのだと思います。私たち当事者もそのように思いがちです。でもそうでしょうか。
 卒業式は儀式であり、形式です。形式は大事ですが、本質ではありません。あなた方の卒業の本質は三年間のこの市邨での日常にあります。この三年間であなた方が獲得した学力、伸ばした才能、自ら生きる力、いわゆる伎倆、更には、市邨性としての誇りと優れた人間性、つまり人物としての成長が、いま卒業に値する本質なのだと思います。例年にも増して、自ら生きる力をつけ、表現力においてパワーアップした卒業生がここにいます。限られた儀式であっても、本質は変わりません。何も可哀想なものはないのです。
 この一年以上、日本中が、いや世界中がコロナウィルスと戦ってきました。コロナ以前の日常は失われました。外出の自粛が求められ、全市民がそれに応えました。平日の昼間に人が歩いていない栄の繁華街がテレビに映っていました。前代未聞でした。いつまで続くか解らない緊急事態宣言にじっと我慢を続けてきました。高校生にとっても、各種大会やコンテスト、インターハイを始めとする全国大会がなくなりました。活躍の場が失われ、悔しくて涙を流しました。
 コロナ以前には当たり前だったことが当たり前ではなくなりました。新たな日常を作らざるを得なくなりました。友達と肩を抱き合って励ますことも、大きな声で呼び合うことも、向かい合って食事をすることも控えなければならない。マスクなしでは、授業も受けられません。コロナ禍にあっても我々は生きていかなくてはならない、生きるために勉強をしなければならない。感染してもしなくても、私たちの毎日の営みは続けなければならない。
 私たちの会合は、多くは無くなったり、オンラインでの実施に替わりました。多くの企業がテレワークに切り替え、生き残りをかけて新たな事業への転換を行っています。特にサービス業においてはその変化は著しいものがあります。人と会うのが制限されるのですから、社会は大きく変化せざるを得ませんでした。まさに先の見えない変化の激しい社会が、コロナによって予想より早く突然に来てしまったのです。
 その中にあって、学校は出来るだけその築き挙げてきた日常を壊さないようにしようとしてきました。命は大事、身体の健康は守らなくてはならない、でも変えたくない習慣や伝統がありました。コロナ禍であっても未来のために学びを止めることはできません。
 コロナ禍の為に出来なかったことを恨むより、寧ろ、出来たことを誇らしく思いたいのです。体育祭は省略し、短縮したけれども、全生徒がグランドに揃って実施することが出来ました。ダックスダンスを競い合いました。文化祭も、3年生は模擬店が出来なかったけれども、今年も英語でのミュージカルを上演したし、ダンスなどパフォーマンス系の催しは充実していました。自分を表現する場がありました。そして何より、毎日の授業があったのです。臨時休校中にもiPAdでつながり、先生と、友達と繋がりながら授業に参加することが出来ました。自分自身と一対一で向き合うことで、教室にいるよりも密度の濃い勉強をすることが出来た生徒がいるのです。休校後に、学校で友と過ごす日常の大切さがより一層心にしみました。このことは素晴らしいことではないですか。
 何年か後にコロナ禍が過ぎ去って、高校時代を振り返ったとき、君たちの心に刻まれているのは、友達と盛り上がって楽しかったことより、コロナのために出来なかったことがあったというより、苦しかったけど毎日頑張ったよね、ということであろうと思います。あの時努力して学んだから今があると、成長した自分を振り返ることが出来るとおもいます。この先も確かな日本が存在する限り。
市邨芳樹先生の言葉、「学生の勉学は単に試験の為にあらず、智を磨き徳を修むるを楽しむに至りて、最も善く修学の目的を達するを得べし」を思い出してください。
 三年前にあなたたち受験生に向けて作った学校案内のパンフレットには「2030年の未来が見えますか」と呼びかけました。「これからの人生を、自分のキャリアをどう創るかを考えることなしに、設計することは出来ません。会社などの組織に依存するのでなく自分の意思で自分の人生を創っていくのです。あなた以外の誰もあなたの人生を創ることは出来ません」と書きました。2030年の未来を生きる君たち若者は「自ら考え、自ら行動する力」を持たなければいけません。そのために、”Teaching より Learning へ”というスローガンを掲げて学校改革を進めたのです。そのための大きな手段が一人一台のiPadでした。当時はその意義がわからず、「こんなもんで何するの?」という疑問の声も聴きました。でも、今やだれもそんなことは言いません。[iPad を使わない授業なんて考えられない」という声が聞かれます。今年のコロナ禍で、これがなかったらと思うとゾッとします。
 君たちの表現力は格段に進歩しました。特に、タブレットを使ったプレゼン力は素晴らしいものがあります。これらの力はどのようにして身についたのですか。先生は詳しく教えてくれましたか。そうではなく、先生は機会を与えてくれました。皆さんは自分で使えるようになったのです。見よう見真似でその力を獲得しました。楽しかったでしょう。面倒だけれども使えるようになる喜びがありました。それが、”Teaching より Learning へ”ということです。
 あなた方に、これから生きる道において大切なことを伝えるとしたら、やはり「慈 忠 忍」の教えということになるでしょう。慈とは、他の人を慈しむ心です。人を大切に思う優しさ。忠とは、まっすぐな心、まっすぐとは正しいと言うことです。正義と言っても良いでしょう。正しいことを求める心。忍とは、何くそといって、堪え忍ぶというより最後までやり通す粘り強い、折れない心です。今の市邨の生徒には最も必要な心構えかもしれません。この慈忠忍の教えが、人のために生きるという、犠牲的精神に繋がります。そこに、「一に人物、二に伎倆」の精神が生きてきます。
 そして、最後に、「起てよ、憤りを発せよ。有用の人たれ。活舞台に於いて活躍する活人物たれ。世界は我が市場ならずや。」を最後に送って、餞の言葉とします。終生、学びを続けてください。あなたたちは、百年という超長寿命の人生を送るのですから。

令和三年三月一日
       名古屋経済大学市邨高等学校長       澁谷有人

この記事の筆者
校長 澁谷有人
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